ある程度の覚悟の元での死

私に父方の祖父は若い頃は好き三昧をし、財産を全て食いつくし九州で一人暮らしをしていました。
何年かに一度一人息子である父の元に元気な顔を見せていましたが私が高校生の時に体の調子が悪いからと突然に家事道具を送って来て我が家にやって来ました。
私としては複雑な気持ちでしたが祖父と一緒に暮らす事が出来るのは少し嬉しくも感じていました。
祖父は暫く自宅で療養をしていましたが入院する事になり両親の変わりの何度も病院に必要な物を持っていったり洗濯物を取りに行ったりした事を思い出します。
病名は知らされていませんでしたが心の中で祖父は二度と家には戻って来ないとも思っていました。
祖父が亡くなったのは私が就職した一年目の19歳の時でした。
両親は祖父の死を覚悟していたのか写真を全く持っていない祖父の写真をとり密かに葬儀への準備をしていたようです。
その祖父の写真は遺影として今でも我が家に残っていますが、死を微塵も感じさせない私にとっては優しいおじいちゃんの笑顔です。
思い出は殆んど無いのですが、もっと一緒に居て色々な話をしたかったとも思いますが我が家にやってきた時は体調も随分悪く高校生の私にとっては祖父を思いやる事が出来ず反対にうっとおしい存在でそっけない態度をとった事を後悔しています。
もう少し優しくしていた良かったと言う後悔か30年以上たった今でも心に残っています。
おじいちゃん、ごめんね!30年以上たった今、改めて伝えたいと思います。
祖父の死は私の両親にとってはある程度と言うよりも我が家にやって来た時から覚悟が出来ていた死だった思います。
祖父の死は病院側の誤診だったと何年か後に聞いたのですが両親は誤診だと解っても何十年も長生き出来る訳でもないし一人息子の元で死を迎える事が出来る事の方が幸せだろうと病院側には一切文句を言わなかったようです。
私は聞かされていなかったのですが病院側からは謝罪があったようです。
人は生まれた限り必ずいつかは死を迎えるのが自然の摂理です。
その死を、どのように受け止めるのかは人ぞれぞれで何が正しいのかは私には解りません。
取り乱すのか冷静に受け止めるのか私には解りません。
余命何カ月と医者に宣告され覚悟はしていても実際には現実を受け止める事が出来ず悲しみのどん底に陥ります。
人の死ほどこの世の中に悲しい事はないと私は思っています。
そして、その悲しみは葬儀の間はひどく感じる事が無いのですが日がたつごとに波の様に叙所におそって来ます。
命の尊さを実感する瞬間でもあり些細な事に思い悩む自分がとてもちっぽけな人間に思えてきます。

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