父の葬儀

私の父は60歳を目前に亡くなりました。
余りにも早い死ではありましたが晩年は酒におぼれギャンブルにおぼれ母には苦労をかけ通しで腹の立つ半面好きな事をして楽しい人生だったのかも知れません。
父の生い立ちは幸せとは言えず嘘か本当かは解りませんが広島の厳島神社の息子として生まれ母親はお姫様だった言っていました。
その名残か随分幼少時代は裕福な暮らしをしていたようですが祖父が道楽者で愛人を作ったりとして家族は崩壊して父は祖父に連れられて私の住む街に辿り着き奉公先を見つけた祖父は父の残し姿をかって貰った記憶は殆んどありません。
家族で出掛ける事も無かったし小学生の頃は運動会に来てくれた事も一度もありませんでした。
父親参観日でも来るのは母で父は私の事が嫌いなのかと思った事もありました。
ですが家では父は厳しく威厳のある存在で中学生や高校生になると父も優しくて物解りの良い素敵なお父さんになりました。
今思うときっと父は両親の愛情を十分受けていない為に幼い子供に接する事が苦手だったのかも知れません。
ですが孫には信じられない位にメロメロで食べたい位に可愛いと言っていた事を思い出します。
父の人生はギャンブルによって一転しました。
それまでは真面目が取り絵で貧しいながらも楽しい我が家だったのですが生活に余裕が出ると根っから好きだったギャンブルの手を出して借金をつくり、借金の返済の為に長年勤務した会社を退職しその退職金で借金を返済したようです。
それ以来、父の人生は一転して元々好きだった酒に溺れ挙句のあての自動車を運転中に脳梗塞を起こし介護が必要な体になったのが55歳の時です。
当時は現代ほど介護に理解も無く介護保険も無かったので世間の目は非常に冷たく感じました。
昼間は母が世話をし、夜は母に変わって私が世話をすると言うのが5年続きました。
私は昼間仕事をし、母は夕方から料理屋さんにパートに行って何とか父の介護をしていましたが母の苦労は想像を絶する苦労だったと思います。
娘の私でさえも何度も全てを投げ出したいと思った位です。
その5年後、父はとうとう帰らぬ人となりました。
何度も危篤状態を迎え最後に私に行った言葉は意識のない中で仕事に行こうとする私に「側にいてくれ」と行ったのが最後の言葉になりました。
その翌日父が亡くなり私は仕事に行った事をとても後悔したものです。
父の死は覚悟はしていたものの葬儀の準備は大変で悲しむ間もなく事が運んだ気がします。
ですが葬儀の終わりに最後に父にお別れをする時に悲しみが一気にわき「お父さん、お父さん」と年甲斐も無く泣きながら叫んだ事を覚えています。
母が未練が残るから泣くのを辞めなさいと言うまで私が泣き続けていました。
父との最後の別れが私には悲しくて仕方がありませんでした。