母の葬儀

母は昔から働き物だと近所でも有名で朝は暗いうちから起きて私達家族の為に朝食を準備しお弁当を作り家族を送りだした後はパートの出掛け毎日休みなく働いていました。
私が結婚をして暫くは別居をしていましたが一人娘の保育園を入園に同居をして家事全般は全て母が引き受け私は随分楽をさせて貰いました。
父が脳梗塞で倒れてからは介護と家事そして夜はパートの出掛け想像を絶する位に働いていました。
その母は60歳を目前にし「もうすぐ年金がもらえるからパートを辞めよう」と喜んでいた矢先に1月の寒い朝、ゴミ捨てに行く途中に突然倒れ右半身付随と言語障害を患い半年の入院の後、老人福祉施設で晩年を過ごしました。
60歳と言う若さで老人福祉施設に入所となった母は毎週土曜日か日曜日に面会に行く私をとても楽しみにしていました。
時々、外泊で自宅に帰るのもとても楽しみの様でしたが自由が利かない体に随分といら立ちを感じ介護をする私と口げんかをする事も度々ありました。
重度の言語障害であったので私の言う事をどこまで理解できているのかも解らず私自身も随分と戸惑い思い悩んだ時期もありました。
やがて自力では歩く事も出来ず自宅に帰る事も出来なくなった母はとにかく私が面会に行くのを心待ちにしてくれていたのですが私にはそれが負担に感じる事もあり毎週母に会いに行く事も苦痛になり「なんて親不孝なのだろう」と思う反面、この現状から逃げ出したいと思った事も何度もありました。
そんな生活が約12年続き、母は3度目に脳梗塞で入院し帰らぬ人となりました。
最後の母との思い出は面会に行った時に私は酷く疲れていて「ちょっとだけ横になってもいい?」と母のベッドに横になるとすぐに眠ってしまいました。
30分位の事です。
目を覚ますと母は部屋のドアを閉め自分は車いすに座って私に布団をかけニコニコと笑って私の寝顔を眺めていたようです。
「お母さん、ごめん、寝てしまった、又来週来るから!」と慌てて帰ったのが最後でした。
その時も母はニコニコと満面の笑顔でした。
その数日後に母は救急車で運ばれ帰らぬ人となってしまいました。
母の葬儀は、心の準備がありながら私自身があたふたとしてしまい多くの親戚の力を借りて無事に終える事が出来ました。
12月の寒い中での葬儀で親族だけでひっそりと見送ろうと思っていたのですが多くの人が来てくれて私としては本当に嬉しく思いました。
母の遺影はひ孫を膝に抱いて満面の笑顔の写真です。
その笑顔は最後に私に見せてくれた笑顔と同じで一生忘れる事はありません。
お母さん、ありがとう、それが葬儀での私の最後の言葉になりました。