大切な方への弔電

年齢と共に結婚式に出席する回数は随分と減り葬儀に出席する回数が随分と増えました。
若い頃は友達や知り合いの結婚や出産などのおめでたい連絡が多かったのに最近では訃報の連絡の方が圧倒的に多くて、その連絡を聞く度に自分の年齢を思い知らされるのと自分も死に近づいてくる事を実感し命の尊さを感じています。
人は生まれてから死ぬまで多くの人との関わりを持ちます。
人は一人では生きていく事は出来ません。
又、死ぬと言う事は生まれてくる事よりも大変な事だと実感させられる時でもあります。
訃報の連絡を聞くととりあえず通夜式か葬儀のどちらかは出席しようと思い仕事を調整して出来るだけ出席するようにしています。
お世話になった方への最後のお別れをする事が人としての務めだと思っているからです。
ですがどうしても仕事の調整が出来ない時には後日自宅を訪問して仏壇に線香をあげさせて頂くように心がけています。
近くに住む人が亡くなった時にはそういう事が出来るのですが余りにも遠方で行く事が出来ない場合もあります。
車や電車で1、2時間なら何とかなりますが兵庫県に住む私が北海道の親戚の葬儀に出席となると中々そう言った訳にも行きません。
葬儀はある程度の予想は出来ても突然にやってくる物なのです。
そう言った場合は出来るだけ心のこもった弔電を送る事にしています。
ですが弔電は祝電と違って随分と文章を作るのが難しく感じます。
故人とのエピソードを盛り込んで感謝の言葉を伝えたいと思うのですが面白おかしく書く訳にも行かずに随分と頭を悩ませます。
会社などから送る場合にはNTTに電話するとオペレーターさんが定型文を紹介してくれるのでそのまま送る事が多いのですが大切な方には何とかお世話になった感謝を伝えたいと思い定型文をアレンジして私なりの文章にしています。
それが正しいのかどうかは解らないのですが私なりの故人へのメッセージです。
少しでも私の思いが伝わればいいなあと思っています。
父の葬儀の時も母の葬儀の時も葬儀の時には弔電にじっくり目を通す事は出来なかったのですが葬儀が終わり一段落した時に改めて弔電に目をやると思いもかけぬ人からの弔電に有り難い事だと大変感謝した事があります。
随分と疎遠にはなっていたのに覚えて頂いていたのだと思わず涙がこぼれた時もあります。
たとえ形式的な弔電であっても残された家族にはとても嬉しくて、きっと亡くなった個人にも思いは伝わっているはずだと私は思っています。