喪主は大忙し

父の葬儀では母が喪主をしたらと思っていたのですが同居する娘婿に気を使って主人が喪主を務めました。
30代前半で婿養子ではありませんが私にとっては実家ですが主人にとっては馴染みの薄い土地でもあったので結構大変だったと思います。
葬儀の準備が始まると夫婦であっても中々二人で話す時間も無くバタバタと忙しくしていた事を思い出します。
父の葬儀は隣保葬で自宅で行われたので殆んどは隣保長さんが指示してくれその通りにすればいいのですが、それでも休む間もありませんでした。
私は離れた場所から主人に頑張ってね!とエールを送るしかなく気になりながらも私自身も雑用に追われバタバタとしていました。
ですが無事に喪主の勤めを果たしてくれ大変感謝した事を覚えています。
母の葬儀では主人とは離婚をしたので喪主は私が勤める事にしました。
3つ上の姉の主人にとも思ったのですが母が脳梗塞で倒れてから老人福祉施設のお世話になりながら約12年間私は誰の力も借りずに私一人で母を見舞い世話をした事への思い入れが強くて喪主は絶対に私が立派に努めて見せると言う意気込みがありました。
葬儀社に依頼し葬儀場での葬儀でしたが喪主の役割は想像以上に大変で決め事の多さに圧倒されてしまいました。
通夜式が始まる前から玄関に待機して訪れる方に挨拶を次々と済まし、その間に葬儀社の担当さんから喪主さん、喪主さんと何度も呼ばれます。
あっちで挨拶、こっちで挨拶、その間に打ちあわせと息を付く間もありませんでした。
葬儀でも同じ繰り返しで食事を食べる間もなく挨拶に追われた物です。
喪主には、もう喪主の挨拶と言う大変重要な役割があります。
私は喪主として挨拶をする自信が無く母の死顔を眺めながら「お母さん、どうしたらいい?」と途方に暮れていると担当さんが無理だったら辞めてもいいですよ!と言って下さいました。
ですが最後まで母をきちんと見送りたいと思い通夜式では形式的な挨拶で済ませましたが葬儀での挨拶は一晩寝ずに考え私なりに母に感謝の気持ちが伝わったと思っています。
通夜、葬儀とも喪主は大忙しで故人を忍んで悲しむ暇もありません。
葬儀が終わった後に親戚が帰り一人になった時に悲しみは込み上げて何日も一人で泣きました。
今でも母を思い出すと涙が出ます。
私は喪主として立派に務めを果たす事が出来たのだろうか?と今でも疑問に感じ母に問いたいと思います。
ですが私は私なりに精いっぱい努めたとも思っています。